ヴァージン~僕は世界を変えて行く~ part5

こんにちは。

今回は第3章のラスト、98ページまで読みました。

「スチューデント」は、努力しているにもかかわらず利益を上げていなかった。そこでブランソンは「スチューデント」の名称を他の方面で使う方法を考えていた。例えば、「スチューデント」旅行会社、「スチューデント」宿泊代理店などなど。このように「スチューデント」を多方面で使うことを考え、柔軟性や可能性を最大限探りたいと思ったそうです。その時に、ただ雑誌や取り上げたい学生政治活動だけに集中していた友人とは距離を置いたそうです。

また「スチューデント」の評判を広げるために全国紙の記者のインタビューを受けて、その時に首相だったり、名だたる有名人から電話がきているふりをして記者に評判のいい記事を書かせていたそうです。

1969年ごろになると学業のため、ジョニーが雑誌の仕事から離れ、「スチューデント」はバラバラになってしまいました。ですが、ニックに助けてもらい、また正しい軌道に乗りました。

ブランソンとデビーはしばらく付き合って妊娠してしまいました。仕事ができなくなるという理由で中絶する事にしましたが、費用が高く諦めかけた時に安く済む親切な医者に出会いました。この時に同じように問題を抱えている学生が多くいる事に気づき、腕がよく、最も親身に診てくれる医者のリストを作り、紹介する学生相談センターという事業を始めました。

 

 学生相談センターの性病に対する援助や治療などの広告の関係でブランソンは逮捕される事になりますが、軽い罰で済み、仕事に戻ります。今まで最終決定権はブランソンにあった雑誌の編集などをみんなが平等に関与できるようにニックが計画していました。この事を知ったブランソンはニックに裏切られると思い、ニックを雑誌の仕事から追い出しました。

 

また、この頃の若者は音楽に興味を持ち、レコードを買うことに相当なお金を使っていました。この事を知り、ブランソンは学生相談センターに資金を回すために、レコードの販売で利益をあげようと思いつきました。。レコードの値段は高かったので、「スチューデント」購買層のことを考えて、安いメール・オーダーのレコードを雑誌で広告し、販売しました。山のような問い合わせと、それまで見たことのないような現金が入ってきたそうです。そして、このビジネスに新しい名前をつけるとき、ビジネスに関しては全くの素人であるという意味でヴァージンと名付けたそうです。

 

誰も行なっていないことに気づいたり、自分の体験から新たなビジネスを作り出せるのはブランソンの持って生まれた才能なのかなと思いました。