ヴァージン~僕は世界を変えていく~ part4

こんにちは!

今回は第3章の途中の76ページまで読みました。

 

雑誌を作るのにジョニーの両親の家の地下室で作業をしていた。部屋は暗くジメジメしていて、物が散らかっていて汚かったそうです。
ある時に女優のヴァネッサ・レッドグレーヴへのインタビューを転機に、ジョン・レノンミック・ジャガーなど神様的存在の人たちにインタビューすることが出来るほどになった。
インタビューをきっかけにジョン・レノンに雑誌のオリジナル曲を作ってもらって一緒に販売する約束をした。結局、ヨーコの流産やジョンの大麻の不法所持容疑などごたごたが重なり、白紙になったそうです。

 

ブランソンはビジネスは金儲けというよりはクリエイティブ活動であると言っています。「誇りにできるものを創造したい」と思っていて、これが彼のビジネス哲学だったそうです。また、「ビジネスとは、人を熱中させ、面白く、クリエイティブ本能を駆使するものでなければならない」と言っていて、成功している起業家のほとんどに共通していることなのかなと思いました。スチューデントの事を考えすぎてこの時にはジャーナリストになろうという野望は薄れていて、起業家への道を歩き始めていたそうです。

 

また、ブランソンの生涯で最も恥ずかしかった瞬間についても書いてありました。「スチューデント」が注目をあびはじめた時に、ドイツのテレビ局から話があって運動家のタリク・アリとドイツの学生運動のリーダー、ダニー・コーン=ベンディットと大学で講演をしないかと依頼を受けたそうです。他の2人は力強いスピーチをして会場を取り込みました。しかし、ブランソンはストウ校での男子生徒は長い詩を暗記して全校生徒の前に立って暗唱しなければならず、少しでも間違えたり、止まったりすると先生がゴングを鳴らし、ヤジと怒号の中を降壇しなければならないという嫌な思い出が蘇ったそうです。待ち時間に吐き気を催したり、ビクビクしながら壇上に上がったそうです。結局、上手く話せず、パニックになり壇上から跳び降りて、群衆の中にまぎれて消えてしまったそうです。今でもインタビューやスピーチの時などは同じような動揺を感じるそうです。偉大な起業家でもこんな一面がある事に驚きました。